宝塚記念と有馬記念、春秋グランプリと言われるこの二つのG1ですが「関連性が高い」とよく言われますよね。
後述しますが、確かに宝塚記念と有馬記念の両方を勝った名馬はずらりといます。
これは「レースの質・関連性が高い」と考えることが一般的です。では宝塚記念と有馬記念の違いと言われたら何だと思いますか?
今回は宝塚記念と有馬記念の違いを明確に示すために、過去の名馬たちの振り返りから、関連性と違いについてを解説していきます。
ご参考になれば幸いです!
もくじ
競馬界において、「グランプリ」として知られる宝塚記念と有馬記念は、それぞれ年に2回、半年ごとに開催される重要なレースであり、各時期に最も強い馬が選ばれます。
中でも記憶に残る馬としては、宝塚記念で勝利したサイレンススズカや、有馬記念で連勝を飾ったシンボリクリスエス、ディープインパクト、変則で両方を制しているオルフェーヴルなどが挙げられ、これらの馬は日本の競馬史にその名を刻んでいます。
さらに、注目すべき点として、同一年に宝塚記念と有馬記念の両グランプリを制覇した馬は、競馬の長い歴史を通じてわずか11頭しか存在せず、この偉業は極めて稀です。
ただし、この11頭は「多い」とも言え、宝塚記念と有馬記念の関連性を考える上では需要な指標です。
以下では、そうした類稀なる実績を持つ馬たちを振り返りつつ、両グランプリの歴史についても詳しく解説していきます。
宝塚記念と有馬記念の共通点と違いをこの章でまとめておきます。
・非根幹距離(1600、2000,2400mの根幹距離ではない)
・内周りコース
・直線に坂
・シーズンの終わりに開催
・力/パワー/スタミナが問われる
宝塚記念と有馬記念の共通点としてあげた3つはとても大事なことです。
大まかにいうと内回りコースで直線が短い=ロングスパートのバテ合い=スピードやキレ味よりもタフさや体力が問われやすい。
直線の坂、シーズンの終わり(馬場状態)などもこれに拍車をかけています。
「だから」宝塚記念を勝つような馬は有馬記念にも適性がある可能性が高く、好走する確率も高い、と考えられます。
いっぽうで…
宝塚記念と有馬記念の違いは…
・300mの距離の差
・気温
・宝塚記念は梅雨の時期
などが挙げられます。
上記、共通事項もあれば決定的に違いがあるとも言えます。
300mの距離に関してはその馬の特性次第ではありますが、涼しい方が体調が安定する馬は有馬記念の舞台=12月の方が言うまでもなく合います。
また、宝塚記念と有馬記念ともに「タフな舞台」であることには変わりがありませんが、梅雨の時期に行われる宝塚記念の方が雨・重馬場で「さらに」タフなレースになる確率が高いです。
だから、違いとして「開催時期」というのは馬の適性特徴の部分で影響が強いと言えます。
タフな体力勝負は得意でも雨はカラキシという馬もいますからね。
これらは予想をしていく上でも大事なことなので覚えておいて損はないですよ!私はそういった適性などを通じて予想をすることが多いです。
そうすると穴馬がみえるんですよね^^
それでは、有馬記念と宝塚記念について、またぞれぞれを勝った馬などをまとめておくので、懐かしい!と思いながら見て頂けると幸いです。
1955年の冬、日本中央競馬会の理事長であった有馬頼寧氏の提案により、「ファンが主導するレースを中山で開催する」という新たなアイデアがグランプリレースの創設へとつながりました。
このレースは、クラシック競走を終えた4歳(現3歳)馬と、古馬(現4歳以上)の中で競馬界の頂点に立つ天皇賞・秋を勝ち抜いた馬たちが対戦し、真の日本一を決定する舞台となりました。
最初の開催は1956年12月23日、新設された中山競馬場の新スタンドで「中山グランプリ」として行われました。出走した12頭の中には、天皇賞の勝ち馬3頭やクラシック競走の勝ち馬4頭が含まれ、日本最強馬の決定戦としての性格が際立っていました。
また、当時中山競馬場では1万人の入場者数が大盛況とされていましたが、この日は28,000人以上が訪れる大成功を収めました。初代の優勝馬はメイヂヒカリでした。
開催からわずか17日後の1957年1月9日に有馬氏が急逝したため、彼の業績を讃えて翌年からはレース名が「有馬記念(グランプリ)」と改名されました。
現在、有馬記念は日本競馬の重要なイベントとして定着し、その売上げは日本一を誇るなど、競馬界のみならず日本の年末には欠かせないイベントとして広く知られています。
1956年に中山競馬場で始まったファン投票による出走馬選定の新しい形式のレースは、中山グランプリ(後の有馬記念)として大きな人気を集めました。
その成功を受けて、1960年には阪神競馬場の新スタンド落成を記念して、有馬記念と同様のファン投票によるレースが関西でも始まり、これが宝塚記念のスタートとなりました。
初期には1800メートルで行われていましたが、1966年には現在の2200メートルに延長されました。
1987年からは4歳馬(現3歳)の出走が可能となり、開催時期も6月下旬に設定されました。これにより、日本ダービーやオークスで活躍した馬が参加しやすくなり、「昭和の中距離実力日本一決定戦」としての地位を確立しました。
●リユウフオーレル(1963年)
約60年前、リユウフオーレルはグランプリレースを初めて連覇し、関西地区出身の馬としては初の有馬記念優勝馬となりました。この功績により、1963年の年度代表馬に選出されました。興味深いことに、リユウフオーレルの父親は、名馬シンザンと同じヒンドスタンです。
●シンザン(1965年)
シンザンは、戦後初の三冠馬として広く知られ、1964年と1965年に連続して年度代表馬に選ばれました。彼は八大競走のうち複数で勝利を重ね、「五冠馬」と称されています。グレード制度導入前に、宝塚記念を含む6つのG1レースで勝利し、19戦15勝の素晴らしい成績を収めており、それは今日でも中央競馬で最も優れた記録の一つです。
●スピードシンボリ(1970年)
スピードシンボリは、天皇賞・春と宝塚記念、そして有馬記念を2度制したことで知られており、1967年と1970年には年度代表馬に選ばれました。特に1970年には8歳で有馬記念を勝利し、「老雄」と賞賛されました。また、キングジョージ6世&クイーンエリザベスSや凱旋門賞に日本馬として初めて挑戦し、国際競馬での先駆けとなりました。
●イナリワン(1989年)
イナリワンは大井競馬場でデビューし、1989年には天皇賞・春を始めとするグランプリレースを連覇し、その年の年度代表馬に選ばれました。この年、彼はオグリキャップやスーパークリークと共に「平成三強」と称され、古馬競走の中心的存在となりました。
●メジロパーマー(1992年)
メジロパーマーは、平地竮走から障害競走へと活躍の場を移し、その後再び平地に戻って宝塚記念と有馬記念で勝利を収めました。この偉業により、メジロ軍団の一員としてグランプリホースとしての地位を不動のものにしました。
●グラスワンダー(1999年)
この栗毛の強豪馬は2歳の時からその才能を発揮し、グランプリレースで3勝を挙げました。その血統は、息子のスクリーンヒーロー、孫のモーリス、曾孫のジャックドールと続き、4代にわたってG1レースを制覇するという顕著な業績を残しています。
●テイエムオペラオー(2000年)
2000年に天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンカップ、有馬記念を含む年間8戦全勝を達成し、年間G1・5勝は史上最多の記録とされます。この成績は20世紀の終わりにふさわしい印象的な記録で、2000年の年度代表馬に選ばれました。
●ディープインパクト(2006年)
日本競馬史上において他に類を見ない成績を持つディープインパクトは、現役時代だけでなく種牡馬としても顕著な成功を収めました。彼の名前は、日本を代表する最強の馬として記憶されるにふさわしいです。
●ドリームジャーニー(2009年)
オルフェーヴルの兄としても知られ、小さな体から繰り出される圧倒的な末脚で多くのファンを魅了したドリームジャーニー。2023年には彼の娘であるスル―セブンシーズがグランプリに挑む予定ですが、その成果に注目が集まっています。
●リスグラシュー(2019年)
遅咲きながらも女王としての地位を確立したリスグラシューは、古馬となった後に宝塚記念、オーストラリアのコックスプレート、有馬記念と、連続してG1レースで勝利を収め、華々しく引退しました。
●クロノジェネシス(2020年)
バゴの産駒であるクロノジェネシスは、特に悪馬場でのレースを得意とし、グランプリレースで3連勝を達成しました。彼女の引退レースであった有馬記念では4連勝が期待されましたが、最終的には3位に終わる惜しい結果となりました。
●トウショウボーイ(1976年宝塚記念、1977年有馬記念)
1970年代にテンポイントやグリーングラスと共に日本競馬を盛り上げ、「TTG時代」と称された時代を築いたトウショウボーイは、1976年に年度代表馬に選ばれました。種牡馬としても成功を収め、三冠馬ミスターシービーを含む複数のG1勝利馬を輩出し、1970年代の競馬シーンを象徴する存在となりました。
●マヤノトップガン(1995年有馬記念、1996年宝塚記念)
長距離での強さを発揮したマヤノトップガンは、柔軟な戦法で知られています。1996年の阪神大賞典では三冠馬ナリタブライアンとの壮絶なマッチレースを展開し、その一戦は日本競馬の名勝負として今も語り継がれています。
●オルフェーヴル(2011年・2013年有馬記念、2012年宝塚記念)
史上7頭目の三冠馬オルフェーヴルは、特に2013年の有馬記念で2位に8馬身差をつける圧勝を飾りました。この勝利は彼の競馬キャリアの中で最も印象的なハイライトとされています。
●ゴールドシップ(2012年有馬記念、2013年・2014年宝塚記念)
予測不可能な行動で「芦毛の暴君」とも呼ばれるゴールドシップは、特に宝塚記念での3連覇が注目されました。スタートでのトラブルがあったにも関わらず、彼のキャリアはG1で6勝、重賞で合計11勝という輝かしい成績を誇ります。
宝塚記念と有馬記念共通点、そして違いを解説してきました。
また過去の名馬などを懐かしんでいただけたでしょうか。
宝塚記念と有馬記念は「お祭り」みたいなものです(まあ有馬記念の方が盛り上がりますが)。楽しんでいきましょう!
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